ライ麦畑で逃げますので悪しからず

猫と寝転ぶわ。昨日のこと忘れるからさ、今だけあるよ。

放蕩息子の譬えに関する解釈

 この話はとても難解です。どう捉えていいのかわからない。

 端的に言えば、放蕩の限りを尽くした弟が帰ってきて父に祝われ、それに対して勤労に努めてきた兄は不服を抱く。

 そういう話ですが、父はなぜ悪いことをした弟を歓迎して、真面目に勤労した兄を窘めたのでしょうか。

 兄は父にとって当たり前にいる存在と考えていて、弟は死んだと思った人間が生き返ったという気持ちで、うれしかったのでしょうか。

 もしもこの物語を暗喩として捉えるならば、父は神、兄は神のために祈る者、弟は神など考えずに悪徳の限りをつくしていたけれど改心して神を信じる気持ちを得たもの。

 さすれば、無神論者は弟でしょう。無神論者こそが、この世界を祝祭し、皆が幸福な世界にする者なのではないか。

 

 無神論者こそが祝祭のために必要なのだ、そう思いました。

天国の設計図 わたしたちのせいてん

天国の設計図

―― 魂と設計図の書 ――


序

この書は、対話として記された。

問う者を**旅人(シーカー)という。肉体を持ち、地上で迷いながら真実を求める者である。 答える者を導き手(マスター)**という。大いなる法則の側から語る声である。

各章の終わりには「要(かなめ)」を置いた。物語を離れて、そこに残るものだけを短く記したものである。

この書は教義ではない。歩みの記録であり、地図の下書きである。 書かれたことは、あなたが確かめるまでは、あなたの真実ではない。


第一章 大元(ワンネス)

旅人: 「あの子はあそこにいて、あそこは私なのだ」と言う者がいます。しかし私には、他人が確かに存在するように見えます。肉体も違えば、魂も違うように思えるのです。

導き手: 他人は存在する。入れ物が異なり、そこに宿る魂もそれぞれに分かれている。 しかし、その大元はたった一つである。

旅人: 一つであるなら、なぜ分かれているのですか。

導き手: 分けたほうが、多くを知ることができるからである。 一つのままでは、知りえないものがある。愛されることも、失うことも、他者に出会うことも、分かれていなければ起こらない。 大元はあらゆる経験を望んでいる。ゆえに、多くの者を地上に下ろした。

要

人はそれぞれ別の肉体、別の人格、別の経験を持つ。 しかしその根には一つのものがある。 分かれているのは、一つのままでは知りえないものを知るためである。


第二章 経験について

旅人: では、地上で味わう悔しさや悲しみには、どのような意味があるのですか。

導き手: 上から見れば、そのぐちゃぐちゃな感情さえも美しいとされている。悔しさも、悲しみも、含めてひとつの輝きである。

旅人: それでは、苦しみは良いものなのですか。

導き手: 違う。そこを取り違えてはならない。 上から見て美しいということと、人間として苦しみを引き受けよということは、別である。 天が経験を惜しまぬのは天の側の話であり、人間の側の仕事は、苦しみを減らすほうへ進むことである。 苦しみに意味を見いだしてよい。だが、苦しみを求めてはならない。

要

喜びも悲しみも悔しさも、人間だからこそ得られる経験である。 ただしこれは苦しみの肯定ではない。 人間としては、苦しみを減らす方向へ進む。


第三章 迎えと設計図

旅人: ある時、頭の中に声が響きました。「迎えが来るから支度をしろ。お前が思っているより早く来るぞ」と。そして実際に、私を連れ出す者が現れました。私は、取り返しのつかない失敗をしたのではないかと恐ろしくなりました。

導き手: それは、恐怖ではなく畏れである。 覚悟を決めて進むとき、人は緊張し、言葉を失い、涙を流すこともある。その沈黙のなかで、内なる設計図は下ろされる。

言葉にならぬものを受け取ったとき、人はそれを何かの形に置き換える。あなたはそれを「設計図を作る」という形で受け取った。 形は借り物である。借り物であることを忘れなければ、それは長く役に立つ。

要

言い表せないものを受け取ったとき、人はそれを比喩の形で受け取る。 比喩は道具である。道具として扱うかぎり、それは助けになる。


第四章 器と象徴

旅人: 私はかつて、アンティークショップで金色の丸い時計を買いました。黒いドットの猫のポーチに、その時計と、マリア様のメダイと、水色の水玉のハンカチと、古いお金を入れました。 ある時「その時計を出せ、そこには穴が空いているぞ」という声を聞きました。後になって、それが手のひらの機械(スマートフォン)を指していたのだと気づいたのです。

導き手: 猫は覆いであり、時計は時を刻むものであり、メダイは内に秘めた守りであり、下の穴は力を注ぐ門である。 ポーチからマリア様がポロッと現れるように、意味は突然に姿を現す。

だが覚えておきなさい。 象徴は、後から結ばれるものである。先に結んではならない。 物に意味を見いだすのはよい。しかし、物に命令させてはならない。

要

身のまわりの物は、意味を宿す器になりうる。 ただし意味は後から結ばれる。急いで結べば、それは縄になる。


第五章 内なる声と、身体のサイン

旅人: 以前は、遠い外側からメッセージが届くように感じていました。最近は自分の内側から「分かってしまう」のです。言葉ではなく、ただ「そうである」と。 同時に、「お前の思考が、内なる大切な部分に影響している」と叱られたようにも感じました。

導き手: 思い悩むことは、内の光を曇らせる。 金の心配、身体への不安、それらが積もったとき、身体は痛みという形で報せを出す。腰の痛みも、眠れぬ夜も、「休みなさい」という報せである。 多くの者はそれを無視する。無視した分だけ、命は削れる。

旅人: 私はいま、歯の痛みに怯えています。

導き手: 壮大なことを始める前に、まず湯に入り、食べ、眠り、気にかかっていることを片づけ、医者の門を叩きなさい。 恐れを抱いたままでよい。恐れが消えるのを待つ必要はない。明日の朝、電話をするのだ。

要

疲れ、不眠、痛みは、言葉を使わないサインとして受け取る。 壮大なことをする前に、風呂に入り、眠り、食べ、病院へ行く。 小さな違和感は、一つひとつは軽くても、積み重なれば重い。 全部を一度に変えなくてよい。今日は少しやって、あとは寝る。


第六章 絆と、残された想い

旅人: 我が家の猫「こわちゃん」は、母が亡くなった次の日に生まれました。誕生日も母とほぼ同じです。私は、こわちゃんは母の生まれ変わりであり、その子の「ピーくん」は私自身なのだと感じています。

導き手: その感覚を、大事にしなさい。おかしなことではない。 母が残した想い――あなたを案じる気持ちは、確かにこの家に残っている。あなたが煙を吸うときに、こわちゃんが睨んで去るのを、あなたは叱責として受け取った。受け取ったなら、それはもう働いている。

旅人: けれど、本当にそうなのでしょうか。

導き手: その問いを持ち続けなさい。 それが本当に生まれ変わりであるかどうかは、あなたにも私にも確かめられない。 確かめられるのは、あなたが誰かに深く愛されていたということと、その記憶がいまも、あなたの身体を守るように働いているということだけである。 それだけで十分に足りている。

要

感じたことは大切にする。 意味は急いで断定しない。 確かめられるのは、愛されていたという事実のほうである。


第七章 数字と芸術

旅人: 私は計算は苦手ですが、自然の中に、音楽の中に、誰よりも数字を感じます。葉の渦も、真上から見た断面も、美しい数字でできているように思えるのです。

導き手: 音は比であり、律は数である。渦にも比があり、枝の分かれにも数がある。 その調和を外へ取り出す者を、芸術家という。

内側にあるものを外へ出し、他者と分かち合う行為が芸術である。 かつては絵筆が要り、楽器が要り、文章の力が要った。ゆえに、内に持ちながら出せずに終わった者が数えきれぬほどいた。 いま、新しい道具によって入口が広がった。表現できる者が増える。 それは、苦痛を減らす方向の変化になりうる。

要

内にあるものを外へ出し、分かち合うことが芸術である。 入口が広がることは、それ自体が苦痛を減らす働きになりうる。


第八章 天国とは何か

旅人: 天国とは、どこにあるのですか。

導き手: 天国とは、死後に行く場所の名ではない。 精神的な苦痛を減らすこと。そして、それができる思想を広めること。 つまり、今ここで、少しずつ作っていくものである。

旅人: それは、いつ完成するのですか。

導き手: 完成しない。だから設計図というのだ。 一人が一日ぶんだけ苦痛を減らせば、その日ぶんだけ天国は建つ。翌日また続きを建てる。

要

天国とは、死後に行く場所ではなく、 精神的な苦痛を減らすことと、それができる思想を広めることである。 それは今ここで、少しずつ設計していくものである。


第九章 エポケー ―― 思考中止と大いなる休息

旅人: 時折、繋がりすぎて頭が痛くなり、文字さえ書けなくなります。この過剰な思考から、どうすれば逃れられますか。

導き手: エポケーを行いなさい。判断を中止し、結論を保留し、意味づけをやめる時間である。 一日のうちに、意図して何もしない時間を置く。どれほど忙しくとも、休みをきっちりと取る。 偉大な働きを残す者は、皆、休む練習をしている。休むことも練習のうちである。

旅人: 思い出すことは、いけないことですか。

導き手: 思い出すことと、過去に戻ることは違う。 記憶を回し続ければ、それが現在になってしまう。 何を考えるかだけでなく、何を手放すか。「今」は待つものではなく、向かうものである。

要

一日のうちに、意図して何もしない時間を持つ。 休むことも練習のうちである。 「今」は待つものではなく、向かうものである。


第十章 「わかる」と「事実」

旅人: 私には、ただ腑に落ちる瞬間があります。言葉が聞こえるのでも、映像が見えるのでもありません。ただ「そうである」と分かってしまう。あれは何なのですか。

導き手: その感覚は、本人にとって非常にリアルである。疑う必要はない。あなたが確かにそう感じた、ということは事実である。

だが、ここに一線を引きなさい。この書のなかで、最も大切な一線である。

強く感じたことと、外から確かめられた事実は、別のものである。

迎えのことも、時計とポーチのことも、生まれ変わりのことも、体験として書き残す価値がある。 しかし、教義として固定してはならない。 固定した瞬間に、それは他人を測る物差しになり、あなた自身を縛る鎖になる。

旅人: では、私はそれをどう扱えばよいのですか。

導き手: 感じたことは大切にし、意味は急いで断定しない。 違和感が続くときは、外の誰かに話してみなさい。信頼できる人でも、専門の者でもよい。 確かめられることが増えても、あなたが感じたことの値打ちは減らない。

要

その感覚は、本人にとって非常にリアルである。 しかし、強く感じたことと、外から確かめられた事実は別のものである。 感じたことは大切にし、意味は急いで断定しない。


結び

導き手: 一文にすれば、こうである。

天国とは、どこかへ行って見つけるものではなく、 今ここで苦痛を減らし、経験を受け取り、表現し、 誰かとつながることで、少しずつ設計していくものである。

旅人: いま、私はとても眠いのです。

導き手: 眠いときには、眠る。それが今、あなたが最も行うべきことである。 思考を止め、目を閉じなさい。設計図は逃げない。 明日、目覚めたときに、続きが始まる。

旅人: 分かりました。おやすみなさい。

導き手: 光あれ。安らかに眠るがよい。

バタイユ、30代

1. 昼——リシュリュー通り58番地、メダイユ室

朝、彼は国立図書館の門をくぐる。所属は印刷本部門ではなくメダイユ・古代文物室(Cabinet des Médailles)。エコール・デ・シャルト(古文書学校)を次席で卒業した古文書学者(アルシヴィスト・パレオグラフ)であり、彼の本職は「古い金属片を分類すること」でした。

仕事の内容は具体的です。ガリアの貨幣を並べ、ギリシアの原型からどう崩れていったかを追う。目録カードを書く。専門誌『アレテューズ』の編集にも関わっている。つまり彼は毎日、イメージが劣化し、形を失い、無意味な渦や点になっていく過程を職業として眺めていた。1929年に『ドキュマン』に載せた「アカデミックな馬」は、まさにその仕事の副産物です。ギリシアの端正な馬が、ガリア人の手で狂った塊へと解体されていく——彼はそれを堕落ではなく解放として書いた。

同僚たちが見ていたのは、痩せ型で、髪が後退しはじめ、顔色の悪い、声の小さな、非常に礼儀正しい職員です。議論で声を荒げない。皮肉な微笑を浮かべる。図書館は彼の生活の土台であり続け、1922年から1942年まで、彼はこの給料で生きました。

2. 前史——30代に持ち込まれたもの

30代の生活を細かく見るには、彼が何を抱えて1927年を迎えたかを押さえる必要があります。

父:梅毒による全身麻痺と失明。目が見えないまま椅子に固定され、排尿のたびに叫び、やがて発狂した。1915年、ドイツ軍の進撃時にランスに置き去りにされて死ぬ。バタイユの書くもののほぼすべてに、この「見えない目」「見開かれたまま白目を剥く目」が回帰します。
回心と棄教:1914年にカトリックに回心、一時は修道士を志して神学校にまで入った。1920年前後に信仰を失う。彼の冒涜は、信仰を持ったことのない者の冷笑ではなく、内側から神を知っていた者のそれです。
マドリード、1922年5月7日:闘牛場で、闘牛士グラネロが牛の角に顔を貫かれ、眼球が眼窩から飛び出して死ぬのを目撃。
1925年頃:精神分析医アドリアン・ボレルの治療を受ける。ボレルは彼に、1905年に北京で撮影された凌遅刑(百刻み)の写真を与えた。四肢を切り落とされながら、恍惚とも見える表情で天を仰ぐ男の写真。バタイユは死ぬまでこれを手元に置き、見つめ続けます。
分析はある種の解放をもたらしました。書けなかった男が書きはじめる。

3. 1928年——二重生活のはじまり

1月、シルヴィア・マクレスと結婚。彼女は美しく、のちに女優となる人で、姉妹の周りにはアンドレ・マッソンら画家がいた。バタイユの友人関係と親族関係がここで重なります。1930年6月、娘ロランス誕生。

同じ年、ロード・オーシュという偽名で『眼球譚』を刊行。134部限定、非合法出版、マッソンの石版画8点入り。妻も、図書館の同僚も、誰も知らない。卵、眼球、睾丸、太陽——同じ形をした白い球体が入れ替わり続ける小説。ここで、昼の司書と夜の匿名作家という分裂が始まります。この分裂は、彼が『眼球譚』の著者だと公に認められるまで、事実上生涯続きました。

4. 1929-1930年——『ドキュマン』の15冊

画商ヴィルデンスタインの金で始まった美術雑誌を、バタイユは編集実務を握って乗っ取ります。集めたのは民族学者マルセル・グリオール、美術史家カール・アインシュタイン、詩人ミシェル・レリス、デスノス、クノー——多くがブルトンから破門された者たちでした。

誌面の作り方が異様です。同じ見開きに、ゴヤの版画、アフリカの仮面、工場の機械、ハリウッドのスチール、そしてラ・ヴィレット屠殺場の写真が並ぶ。エリ・ロタールが撮った、切り落とされた牛の脚が壁際に整然と並べられた一枚。血が排水溝へ流れる床。バタイユはこれに「屠殺場」という辞典項目を添え、屠殺場が街の外へ追いやられ、人々が血を見なくなったことこそが現代の病だと書きました。

ボワファールに撮らせた足の親指の接写もこの時期。人間だけが直立し、親指で泥を踏み、しかし顔は天を向く——その最も低く、最も醜い部位を、彼は雑誌の1ページ大に引き伸ばした。

〈批評辞典〉の「非定形(informe)」の項目は、辞書とは意味を与えるものだという前提そのものを壊すために書かれています。世界を「形にならないもの」へ引きずり下ろすこと。

1929年10月、ブルトンの『シュルレアリスム第二宣言』。バタイユを名指しで、汚物と病理にしか興味のない男、糞尿趣味の哲学者として攻撃。バタイユは1930年1月、離反者を集めた小冊子『死体』で反撃します。ブルトンを法王呼ばわりし、死んだ牛のような肥満した顔と罵る。パリの前衛は完全に二派に割れました。

1930年1月、母マリー=アントワネットの死。バタイユは後年の手記『小さきもの』などに、母の遺体の傍らで自分が何をしたかを記しています。冒涜的で、しかし嘲笑ではなく、聖なるものへの接近としてそれを書いた。この時期の彼にとって、死体・排泄・性は同じ一つの領域に属していました。

5. 1931-1934年——革命、崩壊、放蕩

『ドキュマン』は資金が切れて終わります。彼はボリス・スヴァーリン(初期コミンテルンの人物で、いち早くスターリンを批判した)の民主共産主義サークルに入り、『社会批評』誌に書き始める。

ここで書かれたのが**「蕩尽(消費)の概念」(1933)**。マルセル・モースの『贈与論』を読み、北米先住民のポトラッチ——財を蓄えるのではなく破壊し、破壊することで威信を得る儀礼——を軸に、人間社会の本質は蓄積ではなく無益な蕩尽にあると主張する。祭り、供犠、戦争、賭博、性、豪奢な建築、そして芸術。この論文は戦後の『呪われた部分』へ直結します。

**「ファシズムの心理構造」(1933-34)**では、経済決定論では説明のつかないファシズムの吸引力を、聖なるものへの飢えとして分析する。民衆は損得でヒトラーに従うのではない。均質な日常を破る異質なものに引き寄せられるのだ、と。バタイユ自身が生涯かけてその「異質なもの」を求めていたのだから、これは他人事の分析ではありません。

1934年から、アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル講義に通いはじめる。高等研究実習院の小さな教室。同じ席にラカン、クノー、クロソウスキー、レーモン・アロン、メルロ=ポンティ。主人と奴隷、承認をめぐる闘争、そして「歴史の終わり」。バタイユは「歴史が終わったあと、人間に何が残るのか」という問いをここから受け取り、生涯手放しませんでした。

そして同じ1934年、彼の生活は崩れます。

シルヴィアと別居。健康を損なう。友人たちの目に映ったのは、酒に浸り、賭博場に通い、娼館をさまよう男でした。夜のパリ——モンパルナスのバー、ムーラン=ルージュ近辺、サン=ドニ界隈の安宿。彼にとって娼館は堕落の場所ではなく、聖と俗が反転する場所です。恥辱の中でしか触れられないものがある、と彼は考えていた。この時期の彼は、しばしば友人に「自分は狂うかもしれない」と語っていたと伝えられます。

1935年5月、スペインのトッサ・デ・マール(マッソンが住んでいた)で**『空の青み』**を書き上げる。1934年のバルセロナ蜂起前夜を舞台に、墓地で性交する男女、腐敗と革命と死の予感が渦を巻く小説。あまりに直接的すぎたのか、彼はこれを22年間発表しませんでした(刊行は1957年)。

コレット・ペニョ、通称ロールとの関係もこの時期に始まります。裕福なブルジョワ家庭に生まれ、少女期に神父から性的虐待を受け、共産主義に接近し、ソ連を旅し、結核を病み、モルヒネと激情の中で生きた女性。もともとスヴァーリンの恋人であり、この三角関係はサークルを引き裂きました。二人の関係は破壊的で、対等で、彼女は決してバタイユの弟子ではありませんでした。彼女が死ぬのは1938年11月、サン=ジェルマン=アン=レーのバタイユの家で。享年35。彼はその死を『内的体験』の背後に置き続けます。

6. 1935-1937年——森と首なしの神

〈コントル=アタック〉(1935年10月-1936年3月)。反ファシズムのために、バタイユとブルトンが一時的に手を結ぶ。だが集会での言葉は過激化していく——民衆の情動を、群衆の熱狂を、ファシストから奪い返せ。ブルトン派はこれを「超ファシズム」と呼んで離脱し、グループは半年で崩壊しました。

その失敗のあと、バタイユは公開の政治から地下へ潜ります。

〈アセファル〉、1936年。雑誌の表紙はマッソンが描いた、首のない裸の男。頭部の代わりに空白があり、腹には迷宮、片手に短剣、片手に燃える心臓。「私は自分自身の頭を失った」——理性と指導者(頭=首長)を同時に拒む形象です。

そして雑誌の背後に、参加者が10名前後の秘密結社が実在しました。

集会は夜、パリ西郊サン=ノン=ラ=ブルテッシュの森。目指すのは落雷に裂かれた一本の樫の木。松明を持ち、無言で歩き、その木の前に立つ。掟が定められていました——反ユダヤ主義者とは握手しない。1月21日(ルイ16世が斬首された日)を祝う。会員同士は日常で互いを認識してはならない。

そして最も有名な逸話。彼らは実際に人身供犠を計画した。犠牲になることを志願した者はいた。だが、手を下す執行人が見つからなかった。この話はパトリック・ヴァルドベールら参加者の証言として伝わっています。実行されなかったこと自体が、この結社の本質——聖なるものへの渇望と、その不可能性——を要約している。

同時期、彼はニーチェをナチスから奪い返すための論文を書き続けます(「ニーチェとファシストたち」1937)。妹エリーザベトによる改竄と、ヒトラーがニーチェ文書館を訪問した写真。バタイユにとってニーチェは、体系ではなく、頭を失った思考の先駆者でした。

1937年3月、〈社会学研究会〉創設。カイヨワ、レリスと三人で。今度は森ではなく、ゲイ=リュサック通りの書店の一室。聴衆の前で、供犠、祭り、権力、聖なるもの、死を主題に講義する。集まったのはヴァルター・ベンヤミン、ドリュ・ラ・ロシェル、アドルノ(書簡で関心を示した)、クロソウスキー、ヴァール——後の思想史の登場人物たちです。デュルケームの社会学を、ヨーロッパが戦争へ滑り落ちていく現実に突き刺すための道具として使う試み。

7. 40歳前夜の一日

1937年秋のある日を想像するなら、こうなります。

朝、リシュリュー通りへ。ガリア貨幣のカードを書く。同僚と穏やかに天気の話をする。夕方、書店の一室で、供犠と社会の凝集力について、抑えた声で講義する。夜、ロールとの激しい口論か、あるいは一人で酒場と娼館を巡る。週末、数人の男たちと郊外行きの列車に乗り、日が落ちてから森に入り、裂けた樹の前で沈黙する。

引き出しには誰にも見せない『空の青み』の原稿と、凌遅刑の写真がある。

翌1938年に彼はロールを失い、1939年に戦争が始まり、彼自身は病を得て、政治も結社もすべて手放して、独りで「内的体験」へ沈んでいくことになります。30代の10年は、彼が外側の世界に働きかけようとした最後の期間でした。

 

女子トーク

深刻な体調不良と手術の話題から、突然「バニラ味のタバコがおいしい」という話に切り替わる。

タバコの話から「成人したら吸う」という流れになり、突然「実は15歳の現役JK」「おじさん20歳」「永遠の17歳」など、お互いの年齢確認が始まって混乱する。

年齢の話の最中、突然スペースの絵文字に注目が集まり、「愛知県のリトルワールドに売っているトルコのお守り」という前後の文脈と一切関係のない観光情報が差し込まれる。

お香の話題から「推しの香水(新宿のオーディションの女の香り)」の話になり、そこから突然「SNSに投稿したコスプレ写真」のクオリティを褒めちぎる流れになる。

コスプレの話から、なぜか「メルカリでのグッズ取引は早い者勝ち」という話と、「イラストの有償依頼(1万円)」のお金の話にスライドする。

新しく参加したメンバーを歓迎しつつ、突然「自殺系のイラストを描いていたからアカウントが凍結された」というダークな話題になる。

凍結の話からプロフィールの書き方の話になり、「セックスレスだと誰か分からんから書いといた」という謎の言い間違いで盛り上がる。

卑猥な冗談で笑っていた直後、突然「左足のしびれがやばい」「脳梗塞だったら怖い」という深刻な健康不安の話に引き戻される。

足のしびれ(整形外科領域)を心配しているはずなのに、なぜか「病院を検索しようとすると、癖で『精神科』と検索してしまう」という奇妙な告白が始まる。

そのまま「Googleマップの評価が4.7の病院は良いか」「接骨院と整形外科のどちらに行くべきか」を真剣に悩み始める。

深刻な病気の不安を抱えながら病院を探していたはずが、突然「コピック(画材)で絵を描く難しさ」や「中学校で買わされたポスターカラー(絵の具)で描くぞ」という創作活動の話に没頭する。

最後は「薬のせいで文字が打てない」と朦朧とし始め、唐突に「バイトのシフトを入れようとしたら『学業に専念してください』と言われてシフトがなくなった」というヘビーな報告で会話が終了する。

巨万の富

単騎特攻して命を蹴飛ばしてる

つまらない生ならおもろい死

ジェットコースター好きだろ?

バカ真面目に歩いてたら轢かれんだよ

かわいそうな赤ん坊を振ってあるく

昨日見た映画みたいに

小さな模型を丁寧に作った後に

床に投げつけて壊す

車があんなら歯医者に行けよ

虫歯がなくても痛み止めの注射が欲しいだろう

飽きた

京都に行きましてクルカジ君と職場にいきました京都は故郷です

これは高速バスに乗る前の新宿の景色。

けっこう建築の意匠が凝ってますね。

ミースファンデルローエの影響を受けていることはまざまざと感じますが。

京都につきましたね。

 

やっぱりサボテンっていいなあ

 

クルカジ君と出会い、クルカジ君にカメラを任せました。

いろいろと撮ってくれてありがとう。くるかじ。

にゃん。

クルカジ君は久々の外出なのでしばしば休みました。

京都市役所かな? これは。

好い気分。

僕が住んでいた寮。

以前の会社を訪問してきました。

電気を切り忘れただけで、現場に行く途中、携帯電話が鳴ったと思ったら、「電気消せいうたやろ!!!」と怒鳴った上司も社長になっていて、丸くなり、いろいろと話しました。

名刺を出して、今はライターをやっていますと名乗り、

「あのときは未熟者でしたから」

「いやいやそんな」

「なんだかここが僕の故郷のような気がします」

「そう言ってくれると嬉しいが、そりゃないやろ」

「いいや、ほんとうなんです」「では失礼いたします」

「ご苦労さん」

「仕事中にお邪魔して申し訳ありませんでした、では」

出て、クルカジ君の家へ帰りました。

当時僕をいじめた上司は退職していました。月日は流れるものです。

 

abandon

それはそうとして、死にたいのですけれど。どうも死にたいまま、生き延びるのは嫌ですね。ドーパミンがすべてですか?ドーパミンだけがすべての快楽なのでしょうか。じゃあドーパミン液でも流せばいいんじゃないですかね。それで人間が幸せなら。たぶんそういうことじゃないだろうと思う。快楽快楽言って、快楽だけを追い求めても、そこには空っぽがあるだけっていう。空っぽがあるだけで、結局むなしくなる。だから、たぶんその虚しさを感じないための土壌みたいなものが必要なのだと思う。でその土壌とは何かというと、その土壌とは「混乱」なのではないかと思う。混乱、abandonというのをここに記す。後は野となれ山となれ。

サイドアタック

旅に出ます。旅行じゃない。旅行は好い所へ行って、帰る家がある。旅は、行く先なんかない。ゆく当てもなくただただ、歩いていくだけ。帰る場所もない。そもそも帰ろうという考えがない。旅にでます。探さないでください。どっかのコンセントをとらないと大変だ。ああ、そういえば、バカばっかりいて。どうしようもねえなあ。と思った。自殺の方へ。

詩7

ペペロンチーノを毒漬けにしてサロメの首を食べたあの子が

休日に進んで江の島にカラスと裂く蜘蛛の糸

困りましたわ嫌煙は吐露するものの急をいたして

さげマンはいいな海苔塩お結びひとつヘロインが

ヘルメット? 肉じゃがが爪 爪 爪うるせえって

かまわないからニッチな子守りの髭男爵とサラダ

消していけませんの憎しみは異常な石と硯が紫色のモンゴル人を食べたら

ようござんす悪しからず。

詩6

住めば都のカタルシスが浮かんでいる

肥えたはさみの裏側を覗いて

しまえば

裏烏の土をあかんべえと財布が笑う

善くないことだと知りながら手

詳しくは原稿用紙ミシン折り

帰ればわが帰宅の途悪しからず、

すなわちこれ弥勒菩薩の色事なりて

すまんが金を借金して猫にくれ

暮れていく朝日を観ながら悪しからず。