「神がやってくる耳を澄ませ」
たった今この時間
これを読んでいるすべての人々へ
この年末年始はどうだった?
日々のニュースはきつかった?普通だった?
何も感じなかった?
あなたは何か知っている?それとも知らない?
素敵な恋人ができた?
大いに結構。
葉山でビーチバーティができなくてつまらなかったけど、そこそこ楽しかった?
大いに結構。
新しい食感のグミが美味しかった?
素晴らしい。結構。
特に何の変哲もなくやたらと寒かった。
大いに結構。
個人的にトラブルがあってちょっとキツかった。
結構。
ラジオを点けっぱなしにするくらいしかできないほどの大変な喪失や事故があって、いま体を動かすこともできない。
真剣に言うけれども、最終的にはそれも結構。
特に何もなく、物心ついてからずっと理由もなく苦しい。
大いに結構。
今年も死にたいと毎日願いながら死なないまま今日を迎えた。
大いに結構。
どうしても殺したい奴がいるが殺せないでいる。
一番結構かもしれない。
人生が地獄もしくはそれ以下、あるいは天国もしくはそれ以上。
あるいはごくごく普通。それ以上でもそれ以下でもなく、ぬるま湯だとする。
だとしてだ、生きることはそんなに言われるほど辛いことなのだろうか。
あなたが今抱えている問題は両手で揺らすことすら難しい、特殊な合金の塊のようなものなのだろうか。
答えは間違いない。NOだ。
薄笑いを浮かべている人や、キレかかっている人、憂慮している人がいることは百も承知でもう一度言う。
人生には救いがあり、しかもそれは無料で手に入る。
計算式は要らない。
ある日突然自転車に乗れるのにも似ていて、
ふと気がつくとソウルバーの中で掴んでしまう可能性がある。
ノスタルジーー辺倒でも結構だがあれはもともとうつ病の変種だし、冷笑家やニヒリストになってしまう危険と紙一重だ。
もう一度聞く。
あらゆる全ての皆さん、今年の始まりはどうでしたか。
何らかのフレッシュを、何らかの手段で聴いたか。見たか。読みましたか。ねえ。
あなたは過去から流れている時間だけを生きているんじゃない。
その感覚をああ懐かしいなあと思って、うっとりしている瞬間、
初めて得た感覚と何千回と得た感覚には未来からも同じ時間が流れているのだ。
つまり、いつだってあなたはフレッシュをソウルバーで掴む可能性があるってこと。
一年間という区切りは、神々が我々にそのことをおしえるために作った期日なのだ。