ライ麦畑で逃げますので悪しからず

猫と寝転ぶわ。昨日のこと忘れるからさ、今だけあるよ。

social-winの進化論

私の名前は嵯峨野ルカという。男。年齢は18。もはや、そんな暦は廃れたのだが、西暦で言うと西暦4416年になると思う。日付までは、分からない。

私は私が生きた証をここに書き記す。

 


私は、私生児である。両親はいない。兄弟もない。親類を誰も知らない。両親は産まれたばかりの赤ん坊の私を捨てた──捨てたという表現は正しくない、捨てた、ではなく、私の親になることを承諾しなかった──。

まず、このことには説明が必要だろう。現代において、子どもを授かるということは、それほど地球人にとって重要な意味を持たない。なぜなら、その新たな命の誕生は、性交や愛、子孫繁栄などには決して結びつかないからだ。

かつては、一組の男女が愛し合い、その結果として赤ん坊という大切な命を女性が産み、2人で育てたものだということなのだが、現代においては、結婚、未婚に関わらず、命が生まれるのは、機械的な作業である。これは比喩では無い。まず、簡単な契約が男女の間で交わされる。定められた書式で書かれた1枚の紙をコンビニや銀行などで発行し、それに2人がサインする。それを病院に提出すると、男と女から、少量の細胞が採取され、その遺伝子情報を元に、リステル(人口子宮)で命は「作られる」。

生まれた赤ん坊は、2人に望まれた存在であれば、家族として大切に育てられることになるのだが、前述の通り、如何せん、2人が実際に行ったことと言えば、契約書にサインしたのみである。

授業などで、ラディカルな思想を持った教師が教えない限り、知りえないことなのだが、遠い昔の文学を読む稀有な地球人は、誕生の神秘が語られているのを見ることができる。(横道に逸れるが、宗教というものや、神という概念も私はこの古文書を読んで初めて知った)それらの神秘は現代には全くないものだ。

それゆえ、生まれた私を見た両親はあっさりと私を施設に1万ドネルマで引き取らせた。ドネルマは現代の貨幣の単位だが、それは後で説明しよう。成人するまでと考えると多少安いものではある。

彼らが私を手放すのに躊躇することは何も無かっただろうし、次の日には新しく赤ん坊を作るためのサインをしたことであろう。

 


新生児は産まれた際、まず、検査を受ける。その段階で、私の遺伝子には致命的なエラーが複数あることが発覚した。こんなことは、現代科学においては滅多にない。というか、世界でも、「0.」のあとに、いくつ0がつくか、分からないレベルであり、

「嵯峨野くん、君ような状態に陥った人間は世界見渡して、君ひとりかもしれないね。同情するよ」

医者に14歳にして書かれた言葉である。

どのような未来が自分に残されているのかは、施設を管理する技術省から、7歳の誕生日の日に正式な通達を受けて知っていた。

第1に、私の寿命が一般人の寿命の10分の1程度(一般的に寿命は200歳前後である)ということ。医学界では古くから見出されている病気で、早老症と呼ばれている、が、この速さでの、老化は他に類を見ない、ということ(ただし、現代医学においては、早老症は完治する病気である)。

第2に、現代の高度な医療をもってしても私の体には、薬による治療が不可能な体質であるということ。自然由来の食物の消化は可能なのだが、化学物質による働きかけを受け付けることができないということだ。つまり、軽い風邪でも医学による対処が不可能である。ましてや、早老症は、一般には完治する病気なのだが、私においては、完治はおろか、症状を遅らせる対処療法すらできない。

第3に、これらの遺伝子により、望むと望まないに関わらず、子どもを残すことが許されない。私の病気は症例が全くと言ってないものなので、それに対する法は存在しないのだが、技術省から報告を受けた摘発省が私に対して、特例の通達を申し渡した。それ故に、私に、子どもができることはない。秘密裏に作ろうとすることも不可能である。その理由は後で述べる。人工子宮であれ、女性の子宮であれ、同様に不可能なのだ。

総合して、現代社会において、私の存在に、命に、価値はないと、見なされている。

時代がもっと前であれば、そんなことは無かったのかも知れないが、時代は大きく変わった。同時に、社会も、人間の価値観も、変貌を遂げた。今の私は、この社会において、この文明において、必要とされていないばかりか、排除が望まれている。ただ、私は既に数年で存在が無くなることが決まっているので、しいて、手を降す必要も無いと考えているのであろう。

 


この時代の変貌は、後述するが、約2000年前の、ある、世界規模の出来事が全ての発端となっている。

 


私たち地球人は7歳の年になると、小学校に入学する。そして、国語、算数、理科、社会、世界という科目を習う。二千年ほど前には、体育など、他の科目もあったようだが、これらは廃止され、代わりに世界という科目が義務教育となった。世界という科目では、西暦2525年に始まった、この地球での新たな生き方を学ぶ。先天的に地球人が持っている、友愛や情けの精神によって仲良く生きるという能力と異なる能力が、現代を生きる上では必要であるがためにここで学ぶ必要があるということだ。それ以前では義務教育として、生き方を大雑把には教えるものの、詳細まで、ましてや、何年もかけて教わる必要はなかったらしいが、2525年を境に前述の柔らかなコミュニティの保ち方以上に厳しいルールを守るための教育が必要となった。結果、義務教育の10年間に渡り「世界」という科目を綿密に学んでいくことになる。

地球人で、7歳以上の者でこのことを知らない者はいないのだが、一応「世界」の科目で学ぶことを一から、大体のところをかいつまんで書いていく。

 


約二千年前、四十光年先にあるシバヨージョ星(当時の学者の間では惑星トラピスト1e 星と呼ばれていたらしい)から、地球外生命体が到来した。彼らは以前、太古の昔には人間の姿をしていたらしいが、2000万年という時を経て生命体としての進化を遂げた。あたかも、爬虫類(厳密には単弓類)から、猿が誕生したように。

彼らは自らのことを『ニリック』と名乗った。ニリックは誇り高い生命体であり、自らの2000万年前の姿を持つ地球人を、下等生物と看做す。はっきりとそう明言したものでは無いが、彼らのとった行動は、地球人の意思の剥奪、文明の破壊を齎したことは間違いない。そして、ニリックはそれを省みることなく、これからも続けていくと考えられる。

ニリックが、地球を訪れたのはこれが初めてではなく、彼らの地球人を遥かに超越した寿命からして、別段不思議でもないのだが、いわゆる人類という文明が誕生してから、すぐの頃にニリックは地球人と接触した。その際に、光に関するナノテクノロジーの技術や、その頃の地球人の能力であっても容易に再現できる武器の開発、精神薬の原料となる植物の種子、高度な天文学の知識などを、地球人に授けた。ニリックはこれによって、地球人が、飛躍的な発展を遂げ、ニリックとコミュニケーション可能な生命体へと進化することを期待した。しかし、地球人は見事にその期待を裏切り、それらの技術や知識を、後世に語り継ぐことが出来なかった。

ニリックは地球人の理解力の無さに、愕然とし、地球人が進化することを願って、地球をあとにすることにしたが、その際に、遠い祖国の惑星からも観測できるように、地球に印をつけた。ピラミッドなどの、巨大な建造物、ナスカの地上絵などがそれに当たる。

結果的にニリックが伝えた技術や、知識、作った建造物に関しては、その後の地球人によって、不可解な謎として、オカルトとして扱われることとなる。

以来祖国のシバヨージョ星で、地球人を観測してきたが、ニリックの地球訪問の総合指揮官であった長老が亡くなったときに、再び地球を訪問することに決めた。前回、進化の手助けとして、伝えたものがオカルトとして扱われたことに憤り、また、地球人のあまりの進歩の遅さに痺れを切らしたのである。こうしてニリックは1万の専門家によってチームを構成し、西暦2525年に再び地球に降り立ったのである。ただし、今回の地球人への接触は、前回よりも積極的なものとなった。

世界の教科書によると、その年の空に突如として小さな宇宙船が一隻光り輝いて現れた。ニリックは地球人の当時(西暦2525年)の防衛技術を持ってしても、打ち払うことができないほどの、高度な技術をもっていた。ニリックの宇宙船は透過することができ、生命体のように複製し、光速以上の速さで動くことができた。

この能力によって、到来してから、数分後には、世界中にニリックの宇宙船が降り立った。

すぐさま各国の長にニリックの存在が知れ渡り、中には無謀にも(宇宙船の能力を見た段階で技術の圧倒的な差は明らかであった)戦闘を試みる国や部族もいたが、ニリックはそこに関しても抜かりなく、単体のニリックが、銃撃や爆撃によって死亡することが有り得ない装備をしていること、また、一振でイギリス(現代では、ニリックによって『ホオム』という愛称で呼ばれている)と同規模の土地を瞬時に焦土と化すことができることを示した。それら一部の愚かな地球人のために、見せしめのため、ニリックも仕方なくということだろうが、地球人が住んでいないと思われる場所が一地域『ホオム』と同程度の面積、以降、虫もいない草も生えない、無の地域となってしまった。

結果的に何の議論の余地もなく、世界各国の長たちは、その高度な技術と文明に対してひれ伏す他に為す術はなかった。

以降、ニリックが、世界に国境をなくして全てを統一し、ただひとつのニリックのルールに乗っ取って、世界を管理し、平和を保っている、というように、「世界」の教科書には記載されている。ただ、ニリックに、王がいるのかと言うと、そうでは無いようだ。これについては後で述べるが、ニリックのルールの根拠となるものは別に存在している。

ニリックの技術はとてつもなく高度なもので、時間を飛ぶことすらできた。と言って、未来に行くということはできないのだが、過去に行くことは可能であった。その技術は、行き来ができないため、理論上は可能である、ということであった。恐らく、ニリックの中には試みたものもいるだろう。なにせ、ニリックにとっては、私たちがパソコンという古い家電を容易に作成できるのと同様なほど一般的なことであるから。ましてや、ニリックの技術者にとっては、ペンを持つことよりも簡単なことであろう。ただし、確かめようがない、ということだ。過去の改ざんについては、ニリックの研究では、証明は不可能だが、過去に行った生命体がいたとしても、それは、何らかの大きな力(例えば、後述のハンネ)によって、現代の状況に変化を齎すことは無いということだ。簡単に言うと、予言者として過去に降り立った生命体は、現代においても予言者と呼ばれているか、もしくは、大嘘つきとされている、ということだ。大嘘つきになるのは、本人にとってはそれが経験したことなのだから納得いかないだろうが、世界は彼が経験したことから、逸れたものが、現代世界になる、ということだ。つまり、彼は元から現代にはいなかった、というわけだ。

 

地球人は、宇宙船から降りたニリックの容貌を見て、驚愕し、これまでに無いほどの恐怖を感じたということは想像にかたくないし(もっとも現代では、物心着いた時にはニリックがどこにでもいるので、何も感じることは無いが)、実際に当時のある地球人の手記を読むと、容貌についてだけで、一冊の本が書けるのでは無いかと言うほど、恐怖と驚愕の感情が如何に凄まじいものだったかということを追体験することができる。ニリックも、少し前触れのような、サインを送っておけば、まだ、良かったのかもしれないが、ニリックには前回の地球を訪問した際の記憶が残っていたので、地球人に比べ遥かに長い寿命のためか、時間感覚がどうしてもズレてしまっていて、そこに少し慢心があって考えなかったのかもしれない。

 

ニリックの容姿は脳が顔の半分を占め、後ろに出っ張っている。頭の上には毛が生え、2本の長い触覚が、高く聳えており、先端がアンテナのようにぐるぐる回る。この触覚には様々な能力が備わっているようだが、中でも嗅覚としての役割が大きいようだ。

顔に口と鼻はなく、顔をいっぱいに占めるほど大きな2つある縦長の菱形をした目がある。目の中の瞳は素早く、左右に動く。腕は細く、胴は人間に比べ比率として30パーセントほど短いが、脚は長く筋骨隆々として、背丈は3mほどある。手だけが、かつて人間だった形を残している。

ニリックの性別は、いわゆる雌雄同体というもので、交配をすることで、子孫を増やす。しかし、彼らの寿命は、数万年とされ、世界の教科書に子孫のことに関する言及はほとんどない。

 

教科書の記載によれば、ニリックに鼻と口がないのは、経口による栄養補給の必要がなくなったこと、コミュニケーションに発声が意味をなさなくなったことによって口が無くなり、経口補給がないことから嗅覚によって危険察知の必要が無くなったことから、鼻が無くなり、2000万年の時を経てその痕跡である退化的器官すら残っていない、と、そのように彼ら自身は考えているとのことだ。地球人と違い、ニリックは皮膚から水分や空気を摂取し、光によって、エネルギーを作り出す。コミュニケーションは発声に依らず、地球人で言うところの所謂テレパシーで意志を伝達する。テレパシーは、発生よりも十全なコミュニケーションを可能にする、とのことだ。

彼らには信仰はないが、テレパシーという物質に干渉されない伝達能力によって、ハンネという存在によって絶対的なルールが生得的に課されている。ハンネは地球人の古文書にあるような神というものではない。それは、人間にとっては神秘的なことのように思えるが、テレパシーをコミュニケーション手段とするニリックにとっては、当然のものであり、ハンネは全てのニリックの志向を統一する大いなる霊体である。ハンネはニリックの脳に干渉するものとして存在するのだが、物質的には存在しない。それが、ニリックの行動を制限したり、推進したりするものと言うことだ。

ニリックは人間に対しては、テレパシーではなく、文字を書き記してコミュニケーションをおこなう。これは、先述の通り、話すことができないためだ。どこから来たニリックであれ、すぐさま言語を解する能力があらゆるニリックが持っているので、彼らとの交渉において不便が生じるということは無い。

しかし、ニリックは、地球人がする発声のテンポや温度、音量による感情の伝達ができない。無論、ニリック同士では完全な伝達ができているのだろうが、ニリックが人間に伝達しようとすると、どうしてもその部分のニュアンスが消えてしまう。

ニリックは地球を制圧してから約2000年もの間、世界を掌握しているが、彼らの目的は、地球人を滅ぼすことでなく、むしろ、かつて人間と同じ体と能力であったニリックが人間をより早くニリック自身のような生命体に進化を遂げさせ、惑星間のコミュニケーションをとって、宇宙を百光年程度の広さを制圧するための一部隊としようとしているようだ。それを目的として研究を2000年前から始めた。そのために地球人を監視下、支配下に置いているということである。そのために、地球の至る場所に──もはや過去にあったような国や人種といった概念は存在しない──キャンベルモートという研究所が置かれた。

キャンベルモートについて、説明する。

ニリックの技術省から派遣された技術者(医療関係者も技術省に所属している)たちは、目的を果たすべく、地球人が生まれた時点で、全ての新生児の遺伝子解析を行い、人類を選別することとした。この選別、という行為によって、地球人は二分された。地球人に選択の余地はなく、異なる2つの人生のうちどちらかを生きることとなる。

ひとつは、地球人として、そのまま、地球に何ら恩恵を齎すことも害も齎すことなく、地球人としての人生をまっとうする人々。もっとも、害を及ぼすことは、摘発省の存在が絶対的に許されない。

もうひとつは、地球人の進化に、ひいては先々ニリックに大きな利益を齎すとニリックが考える遺伝子をもった、地球人たち。

前者の地球人は普段通り生き、そのまま死ぬ事が許されたが、ニリックが到来した2525年以降、後者の地球人は、遺伝子を利用するための素材として、使われた。ニリックは前者の地球人をテバリと呼び、後者の地球人をマテリアロと名付けた。マテリアロは、研究所キャンベルモート──地球人の間での通称は『死を待つ人々の部屋』──という施設で2年間暮らし──暮らすと言うより、確実に利益を齎すことを再度確認するために解析する期間──その後、マテリアロの有用な部分を少しずつ切り取り、新たな進化を遂げる人類を構築、即ち、地球人の間では「人造人間」と呼ばれるものを作るための素材となるのだ。

キャンベルモートで作られた新人類は完成形では無いものの、体はニリックと同様の雌雄同体に作りかえられ、優れた遺伝子の細胞に脳から目から足の先まで満ちている。この保存された生命体をオークドロと呼ぶ。最初のオークドロたちは丁重にニリックの技術者によって二千年にわたって保存され、これまでに作られたオークドロは、現在世界にいる地球人50億人とほぼ同じ程度の数、地下に眠っている。ニリックがどこまでオークドロを増やしていくのかは分からないが、どこかの段階で、眠りから覚まし、交配させるのであろう……しかし、交配の方法は、進化の速度を急速にする方法である必要がある。二千年もの間、彼らがオークドロの眠りを覚まさなかったのには、そこに研究の行き詰まりがあるのだろう。

 


私は思春期を迎えると、通達されていた私の人生を考え、終焉について考えることを止められずに心の憂鬱を極めていた。次第に眠りにつくことは困難になり、必然的に、昼間、頭を働かせることが難しくなっていった。外に出れば、時が進みだす、つまり、私が死体に一歩ずつ近づいていく……という感覚があった。

私はその年、14歳であった。

この多感な時期に、人生の絶望に直面した私は、容易く、精神に異常をきたした。現代医学で、精神のあらゆる異常には、投薬によって治せないものはなくなった。ニリックが齎した高度なテクノロジーによる薬は脳の異常な部位を特定しそこに直接働きかけた。それまで地球人が精神医学に基づいて行っていた研究を嘲笑うかのように、全ての精神病はすぐに治った。しかし、当然のこと、私にその方法は無効であった。化学物質が、私には効かないのだから。

私は這いつくばるように、町中の病院──病院には何科というものはなかった。全ては、投薬による治療で容易になされるものだったからである──を駆けずり回り、稀有なカウンセラーという職業をしている存在を探した。しかし、もう、そんな職業は、全く世界のどこにも必要とされておらず、見つかりようもなかった。

精神も薄弱であったこともあり、難儀を極めたが、私は成人まで私を管理する契約の施設長に、何度も何度も泣き腫らしながら頼み込んで、2ヶ月かけて、やっと彼は私の状況を技術省のニリックに伝達した。

すると、その3週間後、あるニリックが、技術省の札を胸に着け、私の前に現れた。札には、Niuと書かれていた。

Niuは確かにカウンセラーである、と同時に、ニリックのテクノロジーの中でも、最先端のテクノロジーに精通している、優秀な技術者でもあった。

Niuは、他のニリックと違って、明らかに、地球人にカウンセラーとしての役割を果たそうと努めていた。ニリックの表情は地球人には読めないとされているが、少なくとも、私には第一印象からそう感じられた。簡単な慰めでは、私の人生の絶望の前では、無に等しい。Niuは、私の状況と落ちきってしまった精神にめげることなく、私とのコミュニケーションを取り続けた。そう、前述した「嵯峨野くん、君ような状態に陥った人間は世界見渡して、君ひとりかもしれないね。同情するよ」と伝えてくれたニリックはNiuである。Niuはあらゆる、言葉や文学、膨大なシバヨージョ星と地球における心理学的なアプローチを用いて、私の精神状態を改善しようと試みた。しかし、時の流れは無常にどんな技術によっても止めようがなく、わたしが意味の無い生として、死ぬということの絶望は、何年もの間、消えることがなかった。

Niuは、本当に私に親身にしてくれた。彼は4年もの間、自らのキャンベルモートにおける研究以外の時間を私とのコミュニケーションに当ててくれた。地球人すら、この社会では、私に対してここまで暖かく迎え入れてくれる存在はいなかった。むしろ、地球人の方が、私の遺伝子の壊滅的なエラーと、絶望に打ちひしがれ無力な有様を、忌避していた。現代が地球人の異常な精神状態を投薬によってすぐさま完治させる時代であることを考えると、私の異質さは、当然のごとく、タブー扱いなのが分かるだろう。鬱という精神病は、一切存在しないのだから。そのとき、話せないながらも、必死に手を動かして言葉を刻み、必死に私の味方であろうとしてくれたNiuに対しては、生命体としての種族を超えて感謝の念が図り難いほどある。

さらに、その後のことを考えると、その表現ですらも足りないものであるのだ。彼は、自分のニリックとしての社会的、身体的生を賭けてまで、私のほんの短い生を、ニリックにとっては、千分の一にも満たない一瞬の生を、悔いなく終えられるよう、計らってくれたのである。

Niuは私が18歳──施設を出る年齢──になり、規定の年齢を満たした私に驚くべき提案をした。それは、キャンベルモートに就職しないか、といものであった。もちろん、私は学歴もないし、何の能力にも秀でいていない。ニリックにとって、キャンベルモートで私を雇うメリットは何一つないので、それは、無理だろうと思った。

現代の通貨はニリックが使うドネルマで世界共通のものであり、100ドネルマが大卒地球人の平均的な時給である。そこで、キャンベルモートでの給料となると、初めから時給は1000ドネルマと破格のものである。キャンベルモートの就業規則が大変厳しいことは知られていたが、その具体的な仕事内容についての情報は、一切出回っていないにも関わらず、この仕事に就きたがる地球人は、大勢おり、とてつもなく狭き門であった。学歴も能力もない私などが通るものではなかった。しかし、Niuは危険を承知の上で、優れた技術者としての立場を利用して、私が面接に通るように取り計ろう、と私に告げた。

すぐさま、私はNiuの提案を承諾し、キャンベルモートの面接を受けることにした。どうしたって、私の命は、もって数年である。チャンスがあるなら、掴まないことはない。確かに時給を見るに気楽な仕事ではないだろうとは思っていたが、残り少ない私の人生を意味あるものとするために、働けるということは魅力的なものであったし、私の絶命が数年以内であるという情報が他の企業に開示されている以上、施設を出た私にはキャンベルモート以外の働き口を見つけることは不可能であった。数年であれ、生きるためにも、ここで働くことは親類もいない私にとっては必須であった。

私は面接で面接官のニリックにNiuに言われた通りのことを述べた。

3日後、採用通知が届いた。Niuの目論見は問題なく成功したようである。

こうして私はキャンベルモートで働くこととなった。ただし、2ヶ月の期限付き雇用である。それでも、助かった。解雇された後も、働かずとも、数年は暮らせる、仮にもし、数年生きられればの話ではあるが……その上……私はあるアイデアを思いついていた。それには、研究所で働くNiuに接触することが必要不可欠であった。

キャンベルモートで働く地球人のことを、ムイケとニリックは呼び、地球人の間でも、それが職業として、認知され、ムイケという職種として、設計士、医者、飲食業と同じくして、就職斡旋の場においても、その名で通用している。

キャンベルモートでの仕事は守秘義務があり、外部に情報を漏らすことは許されない。家族にでさえもそれは許されない。ニリックは地球人の行動をエアーフィルターという、世界中、ありとあらゆる場所に見えない情報の網を張り巡らせていて、キャンバルモートについて話したり書いたりするものがいれば、エアーフィルターに即座に感知され、ニリックによって彼は捕縛されすぐさま極刑をうけることとなる。無論、この場合裁判などは受けることができない。

エアフィルターは全ての情報について感知するのではなく、ニリックの情報部が設定したキーワードによって、選択しているようである。なぜなら、全ての情報を見ていたら、いくら、高知能のニリックをしても、膨大すぎて、効率を考えれば、不適当であろうから。あくまでもこれは私の推測であるが、Niuと私の契約が、エアフィルターに引っかからなかったことを見ると、そのように考えるのが妥当だ。

いま、これを読んでいる生命体(恐らくは人間)が、私がなぜこれを書けているのかということに、疑問を持つだろうということは、想像にかたくないが、その理由については終わりまで読んでいただければ分かることと思う。

始めたころ、キャンバルモートでの仕事は、考えていたより楽なものと感じた。賃金に対して、驚くほど楽であった。しかし、それだけ、ニリックがこの研究に重きを置いていて、私たちキャンバルモートで働くムイケに大きな責務が課せられているのだと感じた。言わば、おそらくはハイリスクハイリターンの仕事なのであろうと。

キャンバルモートには、新生児の遺伝子解析によって、選ばれた地球人がマテリアロとして集められ、さらに、キャンベルモートでニリックの技術者たちによって、遺伝子解析よりも緻密な情報を得るための高度な解析がなされ、一人一人の優れた器官を体の細胞から取り出すというものであった。その「器官」にはもちろん脳も含まれれば、目から唇から、足の先まであらゆるものが含まれる。

必然的に、それらの細胞を技術者によって取り除かれたマテリアロたちはどこかしら、欠損することになる。体の手足などの欠損ならば、まだいいが、心臓や肺、血管、ましてや脳など、欠損したマテリアロは悲惨である。

ニリックの技術者は、それらの重要な器官を取り出すことには慎重であり、少しずつ、細胞レベルで採取していく。したがって、マテリアロはすぐさま死に至るというわけではないが、彼らは常に苦痛と対峙しながら、訪れる死を待つのである。ニリックの技術者たちは、情によって、マテリアロを存命させているわけではない。マテリアロが死んでしまうと、細胞も命を失う。鮮度が重要とされる彼らの研究のためにマテリアロの存命は必須なのである。

ニリックたちは、話すことが不能なため、コミュニケーションができず、万全な生命維持ができない。さらに彼らにとってマテリアロの価値は、脳の、地球人的に言えば精神の健康にも関わることなので、欠損した地球人たちの看護を私たちムイケに委託するという訳だ。これが私の仕事内容である。

無論、私たちキャンベルモートで働くムイケは、ニリックの決まりに従うことが義務であり、さまざまな決まりがある。

マテリアロは、細胞の採取によって、徐々に生命を損なっていくのが、通常であるが、ニリックの技術者の研究の内容によっては、仕方なく、一度に大量な細胞を奪われることがあり、特に、研究に有効な遺伝子を多く有するマテリアロに顕著なのだが、同時に、生命維持に必要な細胞を複数の種類採られることによって、昨日まで何事もなく、生き生きとしていたマテリアロが、主に担当しているムイケの勤務外の時間に採取され、勤務に来るとマテリアロが死んでしまっている、という状況は、ざらにある。私は2ヶ月働いた段階で、十度目のそれを目撃した。その中には私が主に担当しているマテリアロもいた。マテリアロは生まれた時から夭折を宣告されていたとはいえ、やはり、日々楽しく会話していると、そのことを、忘れることはないにせよ、ムイケは皆、それを意識しないようにしている。だから、突然その時が来ると、覚悟もなしに、彼の死が訪れること、さらにそれが故意に計画的に齎された死であることを考えると、悲しくもあり、怒りもわくが、それを表に出すことはできないし(なぜなら、エアフィルターがキャンベルモートでも適応されており、そこで働いているムイケ同士にもそれは適応されるからである)、賃金を得るためと、自分を誤魔化して、働いている。

先程も書いたように、ニリックの技術者は研究にとって必要な器官は、躊躇いなどはなく、採取するために、地球人にとって重要な器官であれ、それは関係ないのである。

キャンベルモートには、当然だが、手足の欠損を抱えたマテリアロもいれば、脳の欠損を抱えたマテリアロもいる。手足の欠損を抱えたマテリアロは、脳は正常に動くので、脳の欠損を抱え、思考が曖昧になったマテリアロよりも悲惨である。

なぜなら、自らが、自らで食べることも歩くこともできず、飼い殺しにされているという事実が明瞭に意識されているからである。

ニリックが私たちムイケに課している決まりとして、どのような欠損であれ、生存に関わるものでない限り、マテリアロはあくまでも研究のための素材として、優遇や冷遇などは許されないということだ。

そのルールの結果として、手足と脳を欠損した、ニリックのための素材としての生命体となった存在と、手足のみの欠損で、脳は無疵のマテリアロが同等に扱われる。すると、必然的に、両者とも、手足の代わりとなる介護がムイケによってなされるのであるが、それが、地球人の心理として割り切れない場合もある。例えば、排泄に関して、手足を欠損した2人のマテリアロのうちで脳の欠損をしている側は、粗相をしても、そもそも傷つく、という機能を失っているため、基本的には問題にならないのだが、そのマテリアロを清潔に保つことは生命維持に必要であり、そのタイミングで、脳の欠損をしていないマテリアロが、排泄の手助けを求めてきたとしても、ニリックのルールに基づき、ムイケは、その要請を後回しにせざるを得ない。結果として、脳の欠損がないマテリアロが、粗相をして、彼らには意識が明瞭にあるので、当然のことながら、人権が損なわれたという感覚が生じる。

キャンベルモートには、『人権』という概念は存在しない。あくまでもマテリアロの生存は、研究の素材としての価値でしかないのである。

ムイケは度々、このような事態に直面する。これは避けられない。脳の欠損で、『人権』を必要とすることができないマテリアロと、『人権』を必要としているマテリアロとを同等に扱わなければならないということ。これは、とても心苦しいものである。心から私は前者のマテリアロより、後者のマテリアロの『人権』を守ることを優先したく思う。しかし、ニリックの掟がそれを阻む。破れば即刻極刑であろう。

キャンベルモートで働き始めてから、2ヶ月の間、とにかくNiuに会おうと苦心した。そして、見かける度に、追い、Niuに、私のアイデアを受け入れてもらえるよう、詳細に策と意志を書き記した手紙を小さく折りたたんで、Niuの着ている服のポケットに押し込んだ。Niuは初めの頃は渋い顔をしていたが、そのうち、4年間私とコミュニケーションしてきて理解していた私の苦しみや絶望を、重ね合わせて考えたのか、仕事を始めてから1ヶ月を過ぎた頃から件の紙をポケットに押し込む度に、分かっているよ、とでも言うように、ぽんぽん、と、私の腕を優しく叩いた。

ニリックは地球人を下等生物として見ていることは、先に述べたが、そのことから、ニリックは地球人の進化を進めようということには積極的であるものの、それ以外は、地球人を圧倒し、ルールを定めるのみである。マテリアロ以外の地球人、すなわちテバリについては、摘発省の目に入らぬものについては、気に止めることは無い。そもそも、直接的なコミュニケーションが困難であるから、それも当然と言えば当然である。

故に、私とNiuのここまで親密な関係性というのは、非常に稀有な事態であると言えた。

何度も言うようだが、私の人生は、今の時点で、いつ終わろうともおかしくない。私は、キャンベルモートで働くことができた。確かに、それも、私の生きた意味になった。しかし、すると、もっと、という考えが頭をもたげてきてしまう。そして、アイデアは、既にあった。

それをNiuに頼み込んだ。Niuは優秀な技術者であり、彼になら、これがいとも容易くできることは確信していた。

私はいま、これを書いているいま、30歳くらい昔の風貌の男が、即席麺を作っているのを見ている。それが出来上がる時間で、Niuは私のためにその装置を作り出したのだった。

そう、そのNiuが作り出した簡易な装置とは、他でもない、時を過去へと飛ぶ装置であった。私は飛んだ。心残りは、なかった。あるとすればNiuとの、たった一つの友情である。だが、その友情が私をここに導いたのだ。

私がたどり着いたのは、目の前で麺を啜っている男によると西暦2023年ということだ。来れたということは、エアフィルターに引っかからなかったことを意味する。Niuも無事だろう。ただ、私はあの世界にはもういない。

私は西暦2023年にこれを書いている。本当はあと1000年ほど前に行きたかったのだが、Niuも即席麺ならぬ、即席装置を作ったのだから、多少の誤差は致し方ない。

私の命は残り少ないだろうが、これを、ニリックが襲来する前に、ここに書き記すことができたことを誇りに思う。きっと、この文章は、誰かの目に留まることだろう。私が過ごしたところまでの未来は変わらずとも、その先は私の書いたものが役に立つ可能性がある。

これで心残りなく、人生の幕を下ろすことができる。

ありがとう、Niu。

目の前にいる男は、何語を話しているのか不明だが、とにかく、苦沙弥というらしい。柔らかな頬をした男だ。彼も暇そうにしているから、死ぬまで彼と暇を潰して過ごそうと思う。

じゃあさようなら。

おたっしゃで。